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兼六園の後は金沢城公園も見てみませんか。

さて。

金沢城公園に入ってすぐに、今まで晴れてた空が曇ってきた。

雨にさえならなけりゃ良いのだけど。と思いつつ、

金沢城址、金沢城公園にも足を伸ばしたときの写真を。

…ほとんどが白い空バックなので、コントラストがえらいことになってんですけどね。

 

かつてのお濠である、現在は4車線の道路(百間堀通り)に掛かる、兼六園と直通の大きな橋。

その名も石川橋。その先にある現存建造物の一つである石川門(重要文化財)を潜って行く。

 

R0016509

 

 

石川橋の上から、かつて天守が建っていた本丸跡地方面を望む。

ウチは高知城、松山城、彦根城の現存天守を始め、大坂城、和歌山城、二条城、

最近では津山城…と、有名所ばっかだがいろいろと城や城址は見てきたつもり。だが…

このお城、石垣の造りが凄い。こんなの見たこと無いと思った。

櫓(やぐら)が多数設置されていた城だったそうで、その櫓ごとに石垣を築いたからだろうが。

なんだかピラミッドみたいって感じ。本物のピラミッドは見たこと無いけど。

 

R0016512 

 

 

石川門の石垣。よく見ると、いろんなマークが彫られている。

これは落書きじゃなくて、刻印石。石材を誰が持ってきたかを印したもの。

かつて前田家に仕えた者の手柄の証明が、長きに渡って示され続けているのだ。

 

R0016519

 

 

この写真は、……えーっと。

三の丸広場前にある、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。平成の世に復元されたもの。

現在もこの写真右手では別の建物の復元工事が続いている。

 

R0016522

 

 

石川門を先程の逆側から。この桜が咲いたら綺麗なんだろうなあ。

この、モザイクみたいになった壁の造りのことを、海鼠壁と言うらしいが。

ナマコには見えない…と思うんだけど。ウチは。

 

R0016530

 

 

橋爪門続櫓。復元にあたっても、瓦の細部まで丁寧に復元してその上バリアフリー構造にしたとのこと。

 

R0016532

 

 

この門を入った後は、建物が殆どない。

そのかわりに残るのは、石垣の数々。それがまた場所場所で造りがいちいち異なっている。

 

R0016535

 

 

これも他の城では見たことのない光景。石垣に赤煉瓦造りのトンネルがある。

日本陸軍がここに駐屯していた時代に、通路として開けられたものだそうだ。

 

R0016537

 

 

トンネルを逆側から。

コンクリートと煉瓦は朽ち始めているが、石垣は未だに堅牢なままだ。

 

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山とか城とかの高いところの頂上を目指して登っているとき、

ふと、「自分がどこまで登ったのか」 を、確認したくなる。

Yes,or No ?

ウチはYes。だからこんな写真が残っている。

 

 

R0016538

 

 

どこの城や城跡でもそうだとは思うけど、この公園は金沢の街の中でも格段に高い所に位置する。

丑寅櫓跡の石垣の端に立てば、兼六園、金沢市街、遠くには雪山が見えた。

 

R0016552_stitch

 

 

別の櫓跡、辰巳櫓跡からはまた違った風景が。

 

R0016563_stitch

 

 

兼六園の木々越しの雪山。

どこからが空でどこからが雲でどこからが山なのか良く解らない。残念。

 

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本丸があった場所。

モリアオガエルの産卵地として知ってる人は知っている場所らしい。

金沢城公園にはタヌキとかも住んでいるそうだから、運が良ければ会えるかも知れない。

 

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本丸跡地への道にある、鉄門跡地。ここからが本丸の森。

本丸のあった場所が何でこんな事になっているのか。

さらっと流すと、

>江戸時代に落雷を受けて本丸焼失、その後建て直しはされず。

>明治に入ってからは陸軍が駐屯。その時代にまた火災発生、三つの建物を残して焼失。

>戦後は金沢大学のキャンパスになり、本丸跡は植物園として使用された。

>平成になってから敷地全体が公園になった。でもここはそのまんま。

と言うことらしい。

 

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石川門と同じく、現存建造物である、三十間長屋。これも重要文化財。

大学のキャンパス時代には書庫として使用されたと言う。元々は鉄砲倉庫。

 

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本丸跡地から降りてきて、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を別角度から。

MicrosoftICEが上手いこと画像を繋げているのが解るように、あえてエッジを残しておこう。

 

R0016591_stitch

 

 

石川門、二の門を裏側から。門の石垣は、隙間が無くみっちりとした造りになっている。

 

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二の門内部の梁。

豪雪に耐えるようにだろうか。他の城に比べても太い梁が使われているように思う。

 

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二の門、入口方向から。

なんでこれをしっかり撮っていないかなあ、ウチは。と思うのがこの写真の右側の造り。

なんて言うのか知らないけれど、古い銭湯の入り口のような形をしている。

 

R0016601

 

 

旧県庁方面から見た、本丸跡地、辰巳櫓跡地の石垣。

何重にも組み上げられ、なおかつ種類が多い。そんな石垣が印象的な城址だった。

 

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この後、アニメイトに行って件の散財をしたのだけど悔いはないぞw

 

この記事を書いている間にいろいろと調べてみていたのだが、意外な事を知った。

 

ウチが以前ここで紹介したアヒルの写真。あれらを撮った場所は大阪府高槻市の城跡公園。

かつてあった城の名前も高槻城。この城の主で有名なのが、高山右近と言う御方。

あの公園には高山右近の銅像が建っている。そして公園の近くには大きな教会がある。

高山右近がキリシタン大名で、豊臣秀吉のバテレン追放令を受けても信仰を捨てず、

代わりに自らの領地と財産を放棄した人なのをウチも承知しているのはそのあたりが理由。

 

そんな方だから、人徳があった。彼を匿ってくれる人は多々居たのだ。その一人が前田利家。

彼は高槻を追放されてから各地を渡った後に、この加賀に住んでいたのだ。

高山右近の知る摂津国の築城方法は、金沢城築城の際にも生かされたと伝えられているそうで。

北摂と加賀にはそんな繋がりがあったのだ。

…ウチは昔の人が造ったものは好きだが歴史には疎いんで知らなかったのだわ。ちょっとびっくり。

 

その後、時代は徳川に移り。

家康の出した追放令を受けてもまだキリストを信仰し続けた高山右近は、

加賀を出た後に長崎からマニラに移住。土地が身体に合わぬまま亡くなったと言う。

 

 

こんなところで今回は終わり。

次回は、仕事先から大きく寄り道をした時の写真。

 

 

オマケは、兼六園の入口の売店で見かけたキティさんで。

 

 

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